桜木君と仲良くなってから、私の中に小さな、それでいて着実な変化があった。
それは、彼の瞳に私がうつっていないということを、少しずつ受け入れられたことだ。
悲しいけれど、純真な彼の眼は、私のことを友達としか見ていないことを痛いほど痛感したことで、自分の中でふっきれたのだった。
「藤井さん!こっちこっち!!花道があばれてるー!!!」
「はーい!!」
いつまでも引きずってしまったけど、無駄な恋なんてないよね。
仁王立ちをしながら桜木君と私の前に立ちふさがった仙道さんが、今まで見たこともないような怖い顔でこちらを睨みつけていた。
「え・・・」
急なことと、その余りの怒り様にびっくりする。何でここに仙道さんがいるの・・・?
一体どうしたんだろうか・・・
その仙道さんのあまりの怖さと言ったら、足がすくんでしまう程だった。
「センドー!!どうしたんだ!?」
こちらもまた、急なことにびっくりした桜木君が言葉を返す。
だけどそれも「うるさい!!!」
と言った仙道さんの言葉でかき消されてしまった。
普段穏やかな仙道さんのそんな姿にびっくりしたのか、さすがの桜木君も黙ってしまった。
仙道さんは一呼吸置いて言った。
「何してるの・・・?」
私の顔をまっすぐ見てそう言う声は、いやに穏やかで、より一層怖い。背筋が震える。
そしてそのこめかみには、しっかりと青筋が浮いていた。
目が完璧に据わっている・・・
顔が整っている分、その顔は人間離れして見え、本当に怖かった。
「な、何って、何もしてねぇぞ、センドー」
それでも負けじと口を開いた桜木君に、
「お前には聞いてないよ」
そう言いながら笑顔で、横にあったごみ箱をガァンと蹴飛ばす仙道さん。
カラカラと転がっていく、いびつに変形したごみ箱だったものを見て、桜木君も事態の異常さに気づいたようだ。
「・・・藤井さん、何してるのこんなところで?」
またこちらに向き直り、仙道さんが言う。
口は笑顔の形になっているのに、目は全くといっていいほど笑っていなかった。
「あ・・・あ・・・」
恐怖で口がわなわなと震え、言葉が出てこない。
「黙ってないで、説明して?」
そう言って、焦れた仙道さんが手を伸ばしながら、世にも恐ろしい笑顔でこちらに向かってくる。
あまりの恐さに、思わず後ずさる。
が、腕を掴まれてしまった。
ガシッ
「う・・・。・・・・・・!!」
グググ・・・
い、痛い・・・
「おい、センドー!!」
「部外者は黙っていてくれる?それとも、試合に出られなくなってもいいのか・・・?」
そう言って桜木君の動きを制止した仙道さんは、
「ここじゃ邪魔が入るな・・・」
そう言うと、そのままずるずると引きずられる。
「い、痛」
「フジイさん!!」
桜木君を無視して、仙道さんはずんずんと歩き、そのままどこかに連れて行かれた。
「ここまで来れば邪魔は入らないだろ。桜木はムカつくけど、あいつは後でどうにでもなる。」
そう言った仙道さん。ここは、あまり人通りのない道で。
こんな激昂した状態の仙道さんと二人きりという状況に冷や汗が流れる。
改めて私に顔を近づけ、目を覗き込まれる。、
「ねぇ。桜木と、何してたの・・・・・?」
そう、無表情に言う。
「な、何もしてないです・・・」
黙っていることが得策ではないと悟った私は、しっかりと告げる。
私は何もしていない。
けれど仙道さんは、
「嘘だ。」
そう言って、ぴしゃりと私の言葉を遮った。
そして、少しの間の後。
「浮気してたんだろ・・・」
え!?
そう言って、私を益々憎々しげに見る仙道さん。
私は状況も忘れポカンと口を開けた。
どういうこと?
浮気していたのは・・・仙道さんでしょ・・・?
「何言って・・・・・・・・・」
「俺の誘いを断って、桜木と浮気してたんだろ!?」
俺の気も知らないで・・・
そういいながら、仙道さんは苦しそうに顔を歪める。
私はその表情を唖然としながら見つめた。
何を言っているんだろう・・・・・?
ググッ
「いっ・・・」
両肩に置かれた手に、力が込められる。力の強い指が肩に食い込んでいる。
「ひどいよ・・・俺が、こんなにも・・・・・・・・・・・」
「俺の誘いを断った後も、藤井さんは桜木と楽しくやってたんだろ!?
考えただけで腹が立つ・・・・・・・・!!
俺がどんな気持ちでこの一週間、過ごしてたのかしらないだろう・・・・・・?」
今にも人を殺しそうな、そんな目で私を見た。
・・・・・・・・・・・・・・。
何故、こんなことになってるのだろう。
浮気していたのは仙道さんで・・・
なんで私が悪いことをしているような、そんな言われ方をしているのだろう・・・?
「・・・私は、浮気なんかしてません。」
そう、きっぱりと言った。
誤解を解かなければ・・・・・・・・
だけど。
バシッ
頬に衝撃を受け、追って鈍い痛みが走る。
「えっ・・・・・・・・」
一瞬何が起こったか理解できなかった。
「何・・・・・・・・・・・?」
仙道さんに、平手打ちにされたようだ。
右頬の痛みが、見る見るうちに激しくなっていく。
私はその事実に呆然と立ち尽くす。
「嘘を吐くなよよ?・・・・・じゃあなんであんなに楽しそうにしてたんだよ・・・・・・?」
依然、仙道さんの語気は鋭い。
「この浮気者・・・!!」
・・・・・・・・・・・・・・。
なんで・・・・・・、こんな・・・・・・・・。
「・・・!」
仙道さんの動揺した顔。
気がつけば、私は泣いていた。
そして一度流れてしまった涙は、次から次へと溢れて止まらない。
・・・・・・・・デートの約束はすっぽかされ、来たと思ったら遅刻し、その上他の女の子まで連れていた。
校庭で、また他の女の子とキスをしていたりして・・・・・・・
痛みとともに、どんどんと今までの出来事が思い出される。
・・・・・・・・とっても、とっても辛かった。
こんなに辛いことがあるものなのかとさえ思った。
それでも辛いことがある度に、仙道さんは優しいからという一言で、なんとか蓋をしようとした―――。
泣いて、泣いて。
でも。それなのに。
桜木君とたまたま帰りが一緒になり、歩いていただけで浮気といわれ、その仙道さんが、今私に激しく怒っている・・・・・・・・。
なんなの・・・・・・・・?
・・・わなわなと怒りで震える。
「・・・・・・どい」
「え?」
「酷い、です仙道さん・・・・・・私・・・・・・・・・ずっと我慢してたのに・・・・・浮気もしてないのに・・・・・・・!」
辛くて、悲しくても自分に蓋をしようと頑張ったのに!!!
なのに、あなたがそんなに簡単に感情を露わにしないでよ―――
私の気持ちを、無下にしたあなたが。
怒りがふつふつと込み上げてきた。
「浮気してるのは、そっちじゃない・・・・・・・・・・・!!私が許してるからって、傷ついてないと思ってるの・・・・・・?」
仙道さんの瞳が戸惑ったように揺れる。
嗚咽に交じって聞きとりにくいかもしれないが、構わず言葉を紡ぐ。
「・・・・・・・いつもいつも、他の女の子のことばっかり!私、仙道さんと付き合ってても、辛いことばっかりだった・・・・・・!!」
途切れることなく溢れる涙を、乱暴に拭いながら仙道さんを睨みつける。
本当にイライラしてきた。
止まらない。
「仙道さんはみんなに優しいからって言い聞かせて、自分で納得して完結させてた。でも、あなたは優しいんじゃなくて、ただ自分の利益を優先させてるだけだって、本当は分かってた!!」
封じ込めていた気持ちが、次から次へと出てきてしまう。
――駄目だ、きたない。
私はなんて心の醜い女なんだろう・・・・・・・。
それでも、・・・それでも動き続ける口を、私は止めることができなかった。
「もう、仙道さんなんか嫌い!!浮気ばっかりする仙道さんなんか嫌い!!私だけを考えてくれない仙道さんなんか嫌い!!!・・・・・・私を信じてくれない仙道さんなんか大嫌い!!!!」
でも、それでも、桜木君に失恋したあの日、私を優しく慰めてくれた仙道さんのことは、やっぱり大好きで―――――?
「・・・・・・・っつ」
別れましょう、の一言が言えなかった。
好きで悔しくて、惚けた様な仙道さんの顔を見ていることに耐え切れなくなる。
私は、彼を思い切り吐き飛ばし、全力で走り出した。
「藤井さん・・・・・・・・・!!」
後ろから呼び止められ、何か言われているが、何も聞きたくなかった。
子供のように癇癪を起した後は、逃げるように、ただひたすら走るしかなかった。
続く